水曜日

Laurence Anyways

「Laurence Anyways」をやっと観ることができました。
最後まで涙が止まらなくて、化粧はボロボロ。
わたしの言葉で感想を述べたら美しさを壊しちゃいそうだけど、
でもほやほやの愛で満ちあふれたこの瞬間を、感情を、
忘れたくないからワタシの言葉で残そう。
こんなに素敵な映画に出会えたことが幸せ。
あなたは、わたしのお気に入りの映画になりました。

 

 
 
 


二十四歳でこの映像が描かれるなんて
彼は間違いなく愛を知っているし色々な物を見て、聴いたんだと思う。
苦悩ですらキラキラにした映像にしちゃうなんて、
まだ世間や社会に首を突っ込んだばかりの人間にしかきっと出来ないことなんだよ。
二十歳になったばかりでこの映像は描けないだろうし
三十歳になったら、涙は悲しいだけのものになってしまうかも。
 
だから、二十四歳。わたしとおなじ。



ストーリーは兎も角、10年間の二人の愛をそのまま目に焼き付けた感触。
愛してしまうと、姿、カタチなんてどうだっていい。
愛を知った瞬間、人生のサウンドミュージックのボリュームは大きくなるの。
愛する人の心臓のリズムとか、口癖とか、大きな陰とか、笑うタイミングとか、生えたてのおひげとか。そういったものが愛おしくてタマラナイもの。
それは言葉に出来ないものたち。
 
その言葉にできないものたちを愛と肯定して、
一生付き合うっていうのは非常に難しい。
魂レベルで繋がっている説明できない愛。
説明不可能なものたちと向き合わなければいけない、愛。
 
 

ロランスとフレッドはそういった愛で溢れていて、突然現れた大きな境界線。
飛び越えられそうで飛び越えられないボーダーライン。
ロランスの心が女性でも(身体は男ね)ロランスの愛したのはフレッドという女性。
 
女性が恋愛対象なのではなくて、ロランスにはフレッドが恋愛対象だったというだけのこと。
それだけで、なんてロマンチックなことなんだろうって思うけど、
 
それはね、この宇宙ではイージーじゃないんだ。

母親を完璧な女性として描いていないところにグッときた。
フレッドの「自分の子供よりも愛している」という言葉なんて、
ロランスへのどうしようもない、どうすることもできない、
逃れられない魂以上の愛を一言で描いている。
母親である女がウソでも言える言葉ではない。と思う。
 
(私はままじゃないから断定はできないけど)
 
 

恋人がトランスセクシャルだと告白してきたら?
というシンプルな話で愛の本質に迫ろうとする挑戦に深く感動したし、
クレイジーなくらいに泣き続けてしまったのは、共感してしまう部分が多かったからかな。
私の人生にかけがえのない一本になりました。ハッピーウエンズデイ。